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『この世はあの世のなかにある』に寄せて



愛ってなんだろう?とずっと想ってました。自分なりに、探究してきました。一体になること。ひとつになること。不思議と、愛そう、とすると、わたしが/あなたを、となって、愛すること/されることは、ふたつになる。探究の途上にあらわれた、相対の極みとしての、生と死。生と死が、ひとつになれば愛になるのでしょうか。この世とあの世。はなればなれのようで、死によって、生かされているとしたら、生と死はひとつになれるでしょうか。

 

この春、屋久島に滞在しました。大自然への入口には必ず、里があり、島にたどり着くには港があり、深い森の息吹にたどり着くまでに、その自然に祈りをささげて暮らす人々がおります。滞在先は、安房川のほとり。山と谷の泉から湧き出した透き通るような水が、大海へと流れ込み、海の水と山の水が行き交う汽水域。その昔、海ガメたちが、産卵という生命の営みをしていた場所です。

 

ある日、滞在先の友人から、ハワイの神話の叡智を語り聴きました。顕在意識のような真水の神さま、カーネと、潜在意識をあらわす海の神さま、カナロアについて。そして、それらの神々は、本来は、言葉の枠を超えた存在であるものとして。このお話を緒にしながら、カーネは、彫刻であらわされることはなく、生命の神として直立した石で象徴され、その湧き出る命の水は、射精の生殖力を反映し、創造、再生の源として描かれ、また、海水の神、カナロアは、その海底を基盤に、万物を生み出してきた太古の古層から、先祖への信仰、想いを馳せる存在としての姿も浮かび上がりました。また、潜在意識の海の底と、現象した水面を、上下して、循環させるクジラや海ガメたちの存在は、まるで神の使いのようでもあります。クジラは春先、この季節、屋久島の沖を北上して、わたしの暮らす街でもある下関や、日本海の沖も経路のひとつとして、北極方面を目指すと言われます。

 

島の東部に位置する春田浜。二月の新月の早朝。山の清水がとくとくと海へ流れ込む水のなかを、禊と称して、裸で辿りました。それは、ハワイの叡智に自らの解釈をかさねれば、あらわれた生の世界から、みえない死の領域に赴くこと。冷たい山の水から、白波の立つ太平洋を見つめていると、川と海、水と塩、自分が、ひとつに混ざりあい、自と他の境界が溶けて消え、生と死の渾然一体を観ずるものでした。その不思議な温かさに満たされた一体感は、海のなかで放尿する感覚に近いことを友人と話し合うなかで、浮遊した浸透圧の不思議さが、塩の存在の稀有さをあらわにしました。

 

みえない塩が、万物を生み出し、潜在する存在につながる海で満ちて、静かに、沈黙しながら、その力を全体に及ぼしており、わたしたちのからだのつま先から頭のてっぺんまでも、浸透し、つねに満たし、運用してくれていることを認識したとき、塩は、死を祓うための存在でなく、死の世界、みえない存在につなぐ架け橋、という発想の転換を、塩そのものの在り方が、わたしに与えました。

 

このときから、自分にとって、死が、生のあとに訪れるというイメージを超えて、むしろ、生の内にも、外にも、浸透して、いのちを支え、司り、沈黙の力として、いま、この内にも存在してるのだと感じ始めたとき、この世は、あの世のなかにあるという想いが湧き起こりました。この世界に、葉の葉脈の一つひとつ、蟻の足の組成、ひとの皮膚の細胞の細部、心臓が一定に鼓動しつづけること、太陽や水を構成する要素、そのどれもが、わたしの理性的な意識を、はるかに超えた秩序に満たされています。わたしは、心臓を止めることや、伸びる髪を止めることもできないなかで、わたしを超えたものに組織されて、流れる生命のなかに浮かんでおります。だから、不自由ということではなく、その不思議な律動と力によって、それを、おかげさまと呼んでよければ、つねに、すでに、そのようなものに生かされていること。この世とあの世。はなればなれのようで、死によって、みえざる秩序によって、生かされていると想うとき、ふたつがひとつになり、生と死が一体になったとき、それが愛の在り方であり、愛はひとつになるということを、再び、思い出しました。

 

わたしにとってあの世は、この世も含めた、死の無限にある、みえない生の躍動。時も、場も、超えて、すべてがひとつになるところ。それは、愛の極みかもしれません。そして、この世が、その、あの世のなかにあると感じたとき、すべては愛のなかにあると、いま、想うのです。そして、愛の問いが、その答えにとけたとき、楽になりました。愛することと愛されることを超えて、愛が、ひとつの海になったとき、愛は、そこに、ずっとただ、あるもの。沈黙に、いま、すべてに、満ちあふれています。そんな最近のわたしにとって、晴れと雨、光と影、むしろ相対する要素のなかでこそ生まれ、天と地、水と光をつなぐ存在である虹は、いろんなふたつを超越しながら結びつける不思議な愛のスーパースターかもしれません。                    

                                                                                                     ― 石原英介

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